12/30/2013

身に纏うもの

2013.12.30     Minamisenju.Tokyo.Japan


今年は自分の力ではどうしようもない出来事に度々襲われた一年でした。
恐らく人生の最期に振り返った時、最も厳しかった年だという事になることでしょう。

そんな年だったからこそ、僕は多くの人間の不思議さに気付く事が出来ました。
もし生涯に与えられる服が一着しかなく、それを運命という変えられないものだとするならば
自分の命が尽きるまでそれを脱ぎ捨てる事は出来ません。
今年は見事に服に着せられてしまいました。
でも、これからこの服を着こなしていけるかどうかは自分次第です。

人間は、前を向いて歩く生き物です。
己の弱さを知り、糧としてより強く前に進むことが僕の出来る事だと信じています。
そして、いつか颯爽と服を着こなす自分を夢見て、2013年を締めくくりたいと思います。






11/26/2013

透明人間様へ

27.Nov.2013     Miho.Ibaraki.Japan


おしゃべりなあなた

あなたとの思い出は沢山あり過ぎて
やり残した事も沢山あり過ぎて
どんなに大きな手を持っていたとしても
とても持てそうにありません



物静かなあなた

あなたと過ごした時
僕は幼くて
思い出は薄墨のように朧げですが
最後に見た姿は
一生忘れないでしょう


二人とも今どこにいますか
まだ僕の近くにいますか

いくら目を凝らしても
あなた達は僕の目にはもう見えなくて
どこを向いて言っていいのか分かりませんが

本当にありがとうございました








11/15/2013

動力

5.October.2013     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




誰にでも先が見えない不安があります。


自らの心中にあるものを創り出す道は、
とても険しいものですが、


そんな時でも、
仲間がいるだけで自分は前に進めるのです。




9/17/2013

手書きの温度

3.September.2013     Ami.Ibaraki.Japan




ネットショッピングを利用する事が度々あります。
僕はコーヒーが好きなので、コーヒーに関連するものもちょっと気になるわけです。
今回購入したのは、あるカフェのオリジナルコーヒーポット。

待ちに待ったものなので、早く届いた品物を見たいということばかり考えていました。
代理で荷物を預かっておいてくれた親戚から荷物を受け取り、
早速開けてみると、中に一枚の手書きの紙が。


「◯◯様よりご注文を承りまして、商品を贈らせて頂きます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。」


ハッとして、それから心が温まる。
同時に、ある大手ネットショップ会社で働く男性の新聞記事を思い出す。
巨大な倉庫から、注文データを見て品物を探し出すだけの仕事を延々と続けることになり、“機械に操られているようだ”と語っていた。
便利なものとは裏腹に、そんな現実もあります。


そのカフェは人気店。
1度か2度行った事はある程度。
別に僕の事を知っているわけでも何でもない。
けれども、そのたった一枚の手書きの文字は、
お店の人の気遣いが伝わり、とても嬉しくなりました。
ファンが多いわけだ。

そして、新たなファンが一人また誕生。






8/31/2013

足下暗し

31.August.2013     Kasumigaura.Ibaraki.Japan




僕の住む辺りは、蓮畑の花が散ることが夏の終わりの知らせ。
8月最後の思い出は、湖に浮かぶ帆引き船。
昔から知ってはいたけど、ちゃんと見るのは今日が初めて。
こんなにキレイだとは全然知らなかった。

かつては漁師の船であった帆引き船も、今では観光の為に運行するようになりました。
船の形のみならず、人の生活も変わりましたが、何とか後世に残ってほしい。
この美しい帆を作るのは、魚を捕る網を作り・修理する“網大工”と呼ばれる人。
漁師にとって網は非常に重要で、それぞれの漁師によって大きさや素材が異なることも今日初めて知りました。
そして、船本体を形作る杉の木も、筑波山から吹き下ろす“筑波おろし”によって育てられる。
この杉は、木の水分が少ない冬に切り出すということです。

古いもの、時代に合わなくなってしまったものを無くす事は簡単。
また、船という“形”を残すことも重要ですが、そのような人々がいた記憶や知識を学び・伝える事も同じくらい重要なこと。
当たり前ですが、これがなかなかうまくいかないのが世の中。

帆引き船のような、素晴らしいものがあったことを思い出せた今日は良い一日。
次回は遠くから眺めるだけでなく、間近で見て触ってみたいものです。

また楽しみが一つ増えました。





8/29/2013

No.2

5.August.2013     Akabane.Tokyo.Japan




一方、こちらは建築家・石山修武によるカッコいい北清掃工場。

すっかり煙突ファンになり、あちこちの煙突が気になる今日この頃です。





8/24/2013

異物

24.August.2013     Adachi Ward.Tokyo.Japan




地元の人には当たり前の風景でも、
ヨソ者から見たら、ツッコミたくなるものはたくさんあります。

住宅地に突如出現する巨大なモニュメント。
かわいい足立清掃工場。


8/18/2013

追憶

10.August2013     National Museum of Nature and Science




自然科学に興味があります。
父親が読んでいた科学雑誌『Newton』は、見ているだけでワクワクしたものです。

30年ぶりくらいに訪れた東京・上野の国立科学博物館は、ダイオウイカ旋風により「深海展」が大盛況。

でも、真夏の炎天下に長時間外で並んで待つ、なんてことはとても出来ないので断念。
その代わり、常設展示を観た

なんて魅力的な世界!!

大人になっても全く飽きない。
それどころか、興味の幅も広がりさらに色んなものに目移りが。

でも、王様はやっぱり不動です。

カッコいいぞ、恐竜!
カッコいいぞ、フタバスズキリュウ!!



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追記
東京駅と同じように、国立科学博物館もリニューアルされたとの事。
吹き抜けの天井や、ステンドガラスなど、改めて見ると素晴らしいものばかりです。
展示だけでなく、建築も魅力満載。


8/16/2013

真夏の妙

16.August.2013     Ami.Ibaraki.Japan




親しくしているスリランカ人の家族が、新盆を迎えた我が家にお参りに来てくれた。
ご主人によると、日本に来てから冷遇される事も多かった中、
ウチの家族は温かく受け入れてくれたのがきっかけとのこと。
以来、産まれた子供の名前を僕の母が命名させてもらい、
困った時には必ず来てくれる情の厚い人達だ。

“盆”というのは、日本独自の文化のようだ。
同じ仏教でも、スリランカでは盆のような行事はないらしい。
日本でも、浄土真宗など宗派によっては盆がない。

僕の住む辺りでは、盆の初日には提灯に火を灯し、お墓に先祖を迎えにいく風習が残る。
我が家の場合、お墓に迎えにいく代わりに玄関先で迎え火を焚く。
“盆の時は先祖が里帰りするため、星の数が少ない”と母の叔父が言っていたそうだ。
確かに、空を見ると星が全く見えない。
そんなの天気によるじゃない?
まぁ時にはそういうこともあるだろうなと思ってた。
でも、盆の間僕は何だか本当に先祖が近くに居るような気がして、結構神妙な気持ちで過ごしている。

盆の終わりには、また玄関先で今度は送り火を焚き、先祖を見送る。
火が消えると、ちょっと寂しく感じるのはいつものこと。
でも、今年は家族にとって特別の想いがあった。
そんな盆もあっという間に例年通り過ぎていく。

送り火を焚いているとき、
“煙に乗って先祖たちは幽界に帰るんだって〜”なんて話をしていた。
僕は、今年は何かあるんじゃないかと思って一生懸命煙を見つめる。
でも、何にもない。
やっぱりそうだよね、、、と思っていたら、
2歳に満たない無口な姪っ子が、空に上っていく煙を指差して手を振っていた。

そんなちょっと不思議な出来事もあるのが夏という季節なのかな。




8/15/2013

終の空

15.Augst.2013     Lake Kasumigaura.Ibaraki.Japan




僕の地元は戦争時の面影を色濃く残す土地だ。

それは、1920年に霞ヶ浦海軍航空隊が作られたことに始まる。
広大な原野に、当時東洋一と呼ばれた国際的な飛行場が作られ、
海外からはドイツの大型飛行船ツェッペリン号、アメリカの飛行家リンドバーグ夫妻などもこの地にやってきた。
また、同時に路面電車が開通して海軍の町として賑わい、花街は今でも残る。
バスに乗っていると“武器学校前”という名のバス停があるが、
よく考えると結構物騒な名前だ。
幼い頃は、そんな事全然気付かなかったけどね。

終戦の日。
近所の「予科練平和記念館」に行った。
“予科練”とは、“海軍飛行予科練習生”のこと。
第一次大戦後、戦争には航空機が重要な要素となることに伴い、
旧海軍は航空兵を養成しようとする。
そして、1940年に土浦海軍航空隊を設置して教育したのが僕の地元
ここには、約70倍の超難関を突破した14〜17歳の少年達が全国から集まった。
空に憧れて来た者、経済的事情から家計を支える為に出世を目指して来た者。
それぞれの想いを抱いてこの地に来たことが記録にみられる。

展示には、写真家・土門拳がこの地に泊まり込んで撮影した写真がある。
少年達が過酷な訓練を受けたことは、説明を受けなくても鍛え抜かれた身体から容易に想像できた。
その中に、グライダーの授業を写した一枚が。
広い空を滑空するグライダーを、一面の野原に立つ少年達が見上げている。
まるで、少年達の夢をそのまま写真にしたようだ。
おそらく、この時間だけは誰もがすっと力が抜け、
辛さも忘れて、ただ自分も空を飛びたいと思ったことだろう。

だが、少年たちの想いとは裏腹に、戦況は悪化。
やがて、最後の手段である“特攻”が行われる。
最初の特攻メンバー5人のうち、2人がここ土浦海軍航空隊からだった。

予科練の卒業生の犠牲者は8割にのぼる。
その数約1万9千人。
また、航空機実験の為に犠牲になった動物達もいた。
彼らが残した言葉を見ていると、いつの間にか腹に力が入り、奥歯を噛み締めてしまうほど心に迫るものがある。



好きでなったがパイロット
娑婆(しゃば)の五十を三十で暮らす
左様奈良(さようなら) 



帰り道、いつも眺めている霞ヶ浦の水面に立つ無数の竹棒が、
そうした彼らの墓標に見えた。





8/11/2013

キカイダー

10.August.2013    National Museum of Nature and Science




僕がいつも行くリサイクルショップにて。

古い大工道具を物色していたら、横にいたオジさんが「お宅も古い道具探してるの?」と言う。
「まぁ、そんなところです。」と答えた。
するとこのオジさん。
何やらベラベラと道具や機械について話し出す。
機械をいじるのが大好き。
しょっちゅう庭やらガレージやらで機械を触っていて、どんな職業をしているのか全く分からない。
そんな人をよく見かけるという心当たりがある人もいるのでは?

僕はこんな人は嫌いではない。
だから、そんな人達を敬畏を持って「キカイダー」と呼んでいる。



キカイダーは大きく3つに分けられる。
1つ目は、こちらが質問してもなかなかそれには答えてくれず、
自分のタイミングや興味と質問が合った時のみ返事がくる。
無愛想だけど、その情報は実に有益だ。
こちらが質問のボールをたくさん投げても返球は少ない人。
故に「多投一返球型」と呼ぶ。

2つ目は、ボールを一球投げると、何個も返球が来る人。
こちらは「一投多返球型」。こんな人はもの凄くありがたくて、一家に一人欲しい。

3つ目は、こちらがボールを投げなくても、向こうからこちらに延々とボールを投げ続ける人。
こちらは「無指向性暴投型」。
自分には訳の分からない話が長過ぎて、捕まるとちょっと大変だ。



話が戻るけど、そのオジさんは誰かに色々と話したくてウズウズしてたんだろう。
見た目は誰が見ても怪しい。
今回は「無指向性暴投型」だったのだけれど、ちょっと興味が湧いたので話を聞いてみる。
やっぱり専門的すぎて、素人のこちらには何を言ってるか分からなかったが、
今まで分からなかったモノの正体が分かったりして、僅かだけど収穫あり。

最近はパソコンや電動工具など、色々なモノ故障で修理センターなるものに行ったり、
電話で聞いたりしても、一問一答のようになってしまい、それ以上の発見が少なく、
自分勝手ながら物足りなさを感じる。
もっとも、そんなに関係ない話ばかりをしていたら商売にならないからなんだけど。

その点、キカイダーたちは色々自分で試し、成功談や失敗談、
工夫した事など経験値を上乗せして話してくれるから、実に興味深く説得力がある。
しかも、この機械しか知らない、というのではなく非常に守備範囲が広い。
また、機械というものを通して世の中の流れを見ているキカイダー。
これがとても鋭くて、ハッとさせられる事は多い。

今では何でもインターネットで調べられると思いきや、そんなことはない。
他人から得た情報だけでなく、自分で情報を実践で確かめてみる。
頭で後先考えず、手でモノを考える人たち。
自分に足りない部分だ。

やっぱりキカイダーは面白い。






8/10/2013

リアル

10.August.2013    The National Art Center Tokyo




話題のアンドレアス・グルスキー展へ。
自分の中に大きなインパクトがあったので、観てみたかったのです。

実際に作品と対峙してみる。

すると、遠近感がなく、日常の出来事が非日常に思えてしまう。
“でも、それも一つの現実なんだ”。
そんなものでした。

何て表現したらいいか分からない奇妙な写真群。

歪みのない均質な世界。
あるシーンをそのままスキャナーでスキャンしたと言えばいいのだろうか?
それとも、薄くスライスしてプレパラートに乗せ、真上から顕微鏡で覗いたと言う方がいいのか?

こんな奇妙な違和感と恐怖はどこかで味わった覚えがあるなぁ。。。

そんなことを考えていると、思い出した。
映画「マトリックス」を観て感じたものと同じだ。
世界をスバッと切り取って、一枚の写真に落とし込むその切れ味は、
ただただスゴい人がいるもんだと思わされました。


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追記
あんまり難しい評論家みたいな事考えなくても、ドイツ写真の生真面目そうな、
クールで、カクカクした感じが自分は好きだという事です。



6/28/2013

焦慮と渇望

22.June.2013     Miho.Ibaraki.Japan




やっと自分の興味のあるものに触手が伸びるようになってきた。

動きたくない自分と動かない事に対して焦る自分が存在し始めた。

前を向く視点すらなかった状態から、ぼんやりと自分がやらないといけない事を気持ちと体が思い出してきたようだ。








6/15/2013

夢想の永訣

8.June.2013     Hayama.Kanagawa.Japan




別れの言葉をずっと言いたいと思っていた。



3ヶ月目の月命日。

僕は夢を見た。
いつかどこかで聞いたような話。
それは、彼が生きている頃に戻る夢。

けれど、皆知っている。
彼がいつかいなくなることを。
時折寂寥感を覚えながら、それでも誰もがあの頃に戻ったことを喜んだ。

ふわっとした温かな感覚だけが残る幸せな日々だった。
だが、あの悲しい出来事を忘れ、
この生活がいつまでも続くと思い始めていた矢先、
僕は彼の命日が明日であることに気づく。
そして、皆に知らせるのだ。



最期の日。

彼はいつの間にか旅立つ準備をしていた。
行き先は誰も知らない。
彼は知っていたのだろうか?
本当はもう二度と会えないことを。

皆が彼のために集まり、一緒に写真を撮ったりしている。

これが最期だと知っているから、
それを悟られないように、必死にいつも通りの笑顔で接しようと努めながらも、
見えないところでお互いに目を合わせては泣いていた。

出発のとき、皆で手を振って見送った。

車に乗り込むその姿は、一番大好きなラグビーの高校時代のユニフォーム。



別れの言葉をずっと言いたいと思っていた。

“ありがとう”
“さようなら”
そんな事を言おうと考えていた。
でも、
彼も僕も皆の口から出てきたのは、この言葉。


“またね”





6/11/2013

キセキ

14.Oct.2012     Vientian.Laos




ラオス郊外で出会った2つの輝石。
きらきら輝くその笑顔は、あの時のままでした。

そもそも、異国の田舎で同胞に会う事だけでも奇跡。

偶然の出会いというものはきっかけにすぎない。
再会は、お互いがロープを投げ合い、受け取れた時に初めて出来る。
全く見ず知らずの者同士から、
直感だけを頼りに手繰り寄せたロープは素敵な時間をくれました。

2つの輝石との関係が、これから長い軌跡を描けるように僕は願っています。










5/28/2013

小さな世界

21.May.2013     Yaita.Tochigi.Japan     




昆虫たちの姿がこんなに美しいと知ったのは、つい最近のこと。


大きさたった5ミリ程度の昆虫たちは、僕には全く見えていなかった。

なんて様々な形や色をしているんだろう。
虫たちはあの小さな体で時間を、季節を感じて生きている。
自然という大きな世界を知っているのだ。



一方、自分たちが扱えないものを他国に売ってしまう人間たちはどうなんだろうか?
そうして得たものがいくら大きくても、それ以上に大きなものを失っている気がする。








5/18/2013

イスラーム

7.April.2013     Tokyo Camii.Yoyogiuehara.Japan

以前から行きたかった代々木上原のイスラム教寺院、東京ジャーミイ。
頭に熱が籠るような高揚感を覚えた。

どこを見ても美しいが、その理由を繙いてみると要素の1つとして“カリグラフィー”がある...なんて偉そうに言ってみたものの、浅学の自分は今までそんなものがあるなんてツユ知らず。

壁に描かれている装飾やコーランを見る中で、イスラム圏の特徴である幾何学模様(=アラベスク)と異なるものがあるので気になったのだ。

カリグラフィー(Calligraphy)とは、文字を如何に美しく魅せるかという技法。

語源はギリシャ語の“kallos”(美)+“graphein”(書く)、、、そのまんまだ。
パソコンや街頭の看板に様々な書体があるのはご存知の通り。
西洋のカリグラフィーは日本にもごく一般に浸透しているし、日本には書道がある。
だが、中東のカリグラフィーは初めて見たということを差し引いても本当に美しい。
日本の書道が“文字そのものを魅せる”のに対し、僕が最初カリグラフィーを装飾と勘違いしてたことを考えると、“装飾全体の中の一部として文字を魅せる”という面からも高度に発達してきたんじゃないかと思わされる。(深読み1)
さらに、文字がシャンデリアになる、つまり2次元から3次元へデザインが昇華されている点で僕にはとても新鮮だった。
文字の表現の可能性を感じるとともに、パソコンの既製文字にいつの間にか自分の感覚が慣れきってしまってることに気付く。



もう1つ僕が感動した美しさの要素を挙げるとすると、“音”か。

これは礼拝を観るまで分からなかった。
コーランを唱える声を寺院内で聞くと、まるで天から声が降ってくるようだ。
こんな感覚は20歳の時にイギリスの田舎の教会でミサを観た以来。

コーランは神の声そのものと言われている。

これは、ムハンマドがアッラー(神)からアラビア語で聞いたものをそのまま書物としたのがコーランとされているからだ。
そのため、アラビア語以外のものはコーランと認めないほど重要視しているらしい。

また、コーランは“声に出して読むもの”という意味がある。
これらのことを考えると、寺院の建築設計において“アラビア語”のコーランが如何に美しく聞こえるかということが重要だったはず。
あの建築はアラビア語に特化されたものなのだろう。(深読み2)
神聖なものと音、建築は密接な関係があるんだなぁ。
当たり前だが、実体験を経てようやく点と点が繋がる。
それにしても、こんなスゴいものを作った先人達の知恵と技術はいったいどれほどのものか。


余談だが、松本人志が「読め!」という本を書いていたけど、ちょっとコーランを意識したのかな、、、?(深読み3)



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追記
代々木上原は初めて行ったけど、人が少なくて自分好みだ。
そして、途中で入ったパン屋がグラム売りしてたのに驚く。
カッコいいランナーの格好をした女性が「このパンを端から3センチくらい下さい」という注文の仕方をしてた。
そんなお洒落な買い方があったのか、、、
一方、僕はビビってグラム売りのパンは買えず。
今度この店に来た時は挑戦してみよう。
「端から25センチくらい下さい」って。(←全部じゃん)



5/14/2013

皐月の助け

14.May.2013     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




木の葉のざわめき。
時折聞こえるキジの声。
新緑を駆け抜ける風は、
網目に詰まった埃が吹き飛ばされるような感覚だ。


もがいているつもりでも、
他人から見たらいつもと変わらないと思われるだろう。
何も進んでないと思われるだろう。


カッコ悪くても、
結果が駄目でも、
それでもマイペースで大丈夫と言い聞かせていくことが唯一の手段。
今日の風は弱くて倒れそうな自分に手を貸してくれているようだった。


僕の一番好きな風が吹く季節だ。



4/30/2013

前進

20.April.2013     Yokosuka.Kanagawa.Japan




仏教の教えには“七”という数字が重要らしい。
それには、こんな話が。

お釈迦様が亡くなり、三~四日後に弟子達が荼毘(だび)に付そうとしたが、薪にどうしても火がつかない。

ところが、遠方にいた最後の一人の弟子がお釈迦様にのもとに帰り、弟子が全員揃ったところで、ようやく火がつき、荼毘に付されたということだ。
それが七日目。
故に、この七を基準に考えて法要は行われることになる。

四十九日は故人が亡くなられてから七週間後。

それまでの期間を仏教では“中陰(ちゅういん)”または“中有(ちゅうう)”と呼び、生前の行いに対する査定期間であり、天国に歩いて行く途中なのだそう。
つまり、“生の世界”と“死の世界”の間を指す。
宗派により若干の違いはあるが、故人は中陰期間中どこでも自由に出歩くことができ、例えば家の中にいたりするという考え方もあるようだ。

そして、四十九日目に天国に到着するとされ、遺族は忌明けとなる。




自分というのは、弱いものだとつくづく感じる。

“時が止まったまま”という言葉は、自らと世の中が乖離してしまった状態を本当にうまく表してると思う。

僕は耐え難い衝撃が起こった時、目前のことが映画のように見える錯覚に陥った。

全てが演出に見え、デジャヴに思え、感情がすっ飛んでしまい、どういう反応をしたらいいか分からなかった。
「こんなシーンは映画で観たことあるじゃないか」
「みんな何で泣いてるんだ?」
「こういう時は泣くのがいいのか。でも、なかなか涙がでない」
その後はようやく実感が出てきたものの、体の周りの空気はねっとり重く、身内以外の人々との間には何とも言えない空間の歪みが今も存在し続けている。

でも、世の中はそんな自分にはお構いなしにどんどん動いていく。

いつまでも悲しみにくれるだけで済めば良いが、特別扱いされるわけもなく、このままでは自分も潰れてしまう。
だから、何かを拠り所にして区切りをつけてそれに耐え、日常に戻れるようにしていかなければならない。

拠り所とは、自分を納得させる論理にあたる。

思う節がいくつもあるが、それが何なのか分からない。
そこで、仏教のような信仰の教えであったり人から見聞きすることと、自分の思いを結びつけて一つずつ解決していく。
とてもつらい作業だ。

故人を弔う一連の儀式は、遺された者たちの心の整理をつけるきっかけを作る、という側面からも重要なものだと思う。

僕は“故人は中陰期間中どこでも自由に出歩くことができ、例えば家の中にいたりする”
という考えのもと、今までいつも自分の横に彼がいると思い続け、四十九日を迎えた。
この日を過ぎれば彼は家を離れ、天国の住人となる。
これで一段落。
でも、今はとても寂しい。

次に来るのは卒哭忌(そっこくき)。

百ヶ日ともいう。
“哭=泣く”のを“卒=終わる”日だ。




4/27/2013

輪廻

27.April.2013     my brother and me




もし、


生まれ変わるということがあるならば、



またあなたの弟として生まれたい。










3/24/2013

想い

21.Jan.2013     Tsuchiura.Ibaraki.Japan




ある男の元に匿名で一人のファンから作品が届いた

男の生業は声


作品は男の声を動画作品にしたもの


男はとても喜んだ




後日、男は自分の弟に作品を自慢してみせた


だが、その作品は弟が作ったものだった


弟は恥ずかしくて言えなかった




砂が街の景色をかすめたある日


風は男の生命を持っていってしまった


華やかな世界の仕事に自惚れず、家族の為に生きた男の最期は一人だった


その夜、家族は一人ひとり自分の想いを男に話した


弟はあの日兄に伝えられなかったと泣き続けたという






3/19/2013

帰り道

19.Mar.2013     My home




サッカークラブの帰り道、
暗闇が怖い僕たちは、テレビアニメの主題歌を歌いながら家路を急ぐ

けれど、あんまり怖いから、いつも途中で歌詞を忘れてしまうんだ

そこで僕たちは歌を作った

街灯の光でできるふたりの影

歩くとその影が動いていく



まえかげ♪  まえかげ♪  まえかげ♪


うしろっかげ♪  うしろっかげ♪  うしろっかげ♪


あれっ!?


まえかげ♪  まえかげ♪ ・・・




家が近づくにつれて歩みは速くなり

坂を上った丘の上にある我家の明かりを見つけた途端、ふたりはいっせいに走り出す

そして、玄関のドアを開けたとき

僕たちはやっと安心するんだ

3/12/2013

ヒーロー

12.Mar.2013     In my room
           


         目を閉じると 彼は子供のようにはしゃいでいて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼はごはんをたくさん食べていて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は宙に浮かんでいて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は宙を見つめていて
         目を開くと  彼は眠っている

         目を閉じると 彼は穏やかな顔で横たわり
         朝がきて   僕の目は開くのに     ヒーローの目は開かない