5/18/2013

イスラーム

7.April.2013     Tokyo Camii.Yoyogiuehara.Japan

以前から行きたかった代々木上原のイスラム教寺院、東京ジャーミイ。
頭に熱が籠るような高揚感を覚えた。

どこを見ても美しいが、その理由を繙いてみると要素の1つとして“カリグラフィー”がある...なんて偉そうに言ってみたものの、浅学の自分は今までそんなものがあるなんてツユ知らず。

壁に描かれている装飾やコーランを見る中で、イスラム圏の特徴である幾何学模様(=アラベスク)と異なるものがあるので気になったのだ。

カリグラフィー(Calligraphy)とは、文字を如何に美しく魅せるかという技法。

語源はギリシャ語の“kallos”(美)+“graphein”(書く)、、、そのまんまだ。
パソコンや街頭の看板に様々な書体があるのはご存知の通り。
西洋のカリグラフィーは日本にもごく一般に浸透しているし、日本には書道がある。
だが、中東のカリグラフィーは初めて見たということを差し引いても本当に美しい。
日本の書道が“文字そのものを魅せる”のに対し、僕が最初カリグラフィーを装飾と勘違いしてたことを考えると、“装飾全体の中の一部として文字を魅せる”という面からも高度に発達してきたんじゃないかと思わされる。(深読み1)
さらに、文字がシャンデリアになる、つまり2次元から3次元へデザインが昇華されている点で僕にはとても新鮮だった。
文字の表現の可能性を感じるとともに、パソコンの既製文字にいつの間にか自分の感覚が慣れきってしまってることに気付く。



もう1つ僕が感動した美しさの要素を挙げるとすると、“音”か。

これは礼拝を観るまで分からなかった。
コーランを唱える声を寺院内で聞くと、まるで天から声が降ってくるようだ。
こんな感覚は20歳の時にイギリスの田舎の教会でミサを観た以来。

コーランは神の声そのものと言われている。

これは、ムハンマドがアッラー(神)からアラビア語で聞いたものをそのまま書物としたのがコーランとされているからだ。
そのため、アラビア語以外のものはコーランと認めないほど重要視しているらしい。

また、コーランは“声に出して読むもの”という意味がある。
これらのことを考えると、寺院の建築設計において“アラビア語”のコーランが如何に美しく聞こえるかということが重要だったはず。
あの建築はアラビア語に特化されたものなのだろう。(深読み2)
神聖なものと音、建築は密接な関係があるんだなぁ。
当たり前だが、実体験を経てようやく点と点が繋がる。
それにしても、こんなスゴいものを作った先人達の知恵と技術はいったいどれほどのものか。


余談だが、松本人志が「読め!」という本を書いていたけど、ちょっとコーランを意識したのかな、、、?(深読み3)



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追記
代々木上原は初めて行ったけど、人が少なくて自分好みだ。
そして、途中で入ったパン屋がグラム売りしてたのに驚く。
カッコいいランナーの格好をした女性が「このパンを端から3センチくらい下さい」という注文の仕方をしてた。
そんなお洒落な買い方があったのか、、、
一方、僕はビビってグラム売りのパンは買えず。
今度この店に来た時は挑戦してみよう。
「端から25センチくらい下さい」って。(←全部じゃん)